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「縄文土器復元」

刈谷我野遺跡出土尖底土器復元の記録

武吉廣和


「刈谷我野遺跡出土の尖底土器復元展」
    ー内外両面に施された押型文の謎は解けるのかー

展示内容/ 陶芸家 武吉廣和が土器片から完全復元した尖底土器15点の展示
期間/  西暦2009年2月1日(日)~2月28日(土) 9:00~17:00  無休
場所/  高知県立歴史民俗資料館1階フリースペース (入場無料)
       〒783-0044南国市岡豊町八幡1099-1
       TEL/088-862-2211 FAX/088-862-2111
主催/  武吉廣和の縄文土器研究所 http://www1.ocn.ne.jp/~takeyosi/
       〒786-0097高知県高岡郡四万十町日野地326
       TEL&FAX 0880-23-0054 or 088-864-1504     

展示会案内パンフレット(PDFファイル)


 先月の1月開催「横浪小学校6年生15人による復元展」に続く企画です。
同じく押型文尖底土器15点の展示ですが、安全な雲南式による焼成ではなく2時間ほどの野焼きによるものです。
押型文の施文も、内外施文の土器片を選び精確に「完全復元」することを試みました。

 2003年の発掘現場を見学して厚さ3ミリ程の両面施文の小さなかけらを目にして驚いたのがことのはじまりです。
一体これはどうやって作るのだろうと、陶芸家としてショックをうけたのです。8千年前とは信じられないデザインのこの精巧さ、この謎を解こうと考えました。
完全なすがたの尖底土器に復元して使ってみれば刈谷我野遺跡に暮らした人々の誰であるか、また彼等の作った土器の何であるかが見えて来るのではないかと企画しました。

 胎土は前回と同じですが、野焼きの焼成法しだいで黒色土器も明るい色も表現出来ます。
復元した尖底土器15点のそれぞれに付いているのは刈谷我野遺跡発掘調査報告書2での掲載ページとちいさな土器片の番号です。
縄文早期では中四国最大級と言われる刈谷我野遺跡の内外両面施文土器に焦点を当てて、誰にでも分かるように、その土器を「完全復元」するという企画です。
発表の「場」を与えて下さった高知県立歴史民俗資料館に感謝致します。                                                   





「完全復元」という考え方

 縄文土器の始まりは縄文草創期の1万6千年前からということらしい。
つづく縄文早期の刈谷我野遺跡の押型文尖底土器は約8千年前頃。
鉄鍋が庶民に普及するのが8百年程前の鎌倉時代からと言われている。
アルミの鍋や電気炊飯器は戦後だから、せいぜい数十年しか使っていないことになる。
つまり、我々が土器だけに頼りきって煮炊きした時間は1万5千2百年ということになる。そして現在にいたるまでも土鍋というかたちで我々の日常の料理の中にしっかり根を張っている。

 土器の恩を忘れまい。

 今回、小さな土器片から「完全復元」を試みた刈谷我野遺跡の尖底土器は今から約8千年前という昔である。
さりながら、縄文土器がえんえん8千年も続いたあげく到達した砲弾形という究極の合理的デザイン様式の土鍋でもある。そして縄文海進という温暖化の前に消える。

 あなたが土器片を拾い上げて、もし表面にタイヤ痕のような押型文があれば、それは間違いなく約8千年前の縄文早期の尖底土器の一部ということになる。
そしてそれが口縁部であれば、おおよそのすがたも割り出す事が出来る。

 今回のこの展示は野焼きが容易で、煮炊きに利用しやすいサイズでの「完全復元」を目的としている。そしてさらに縄文料理という実験考古学まで進むことが可能である。


 「終わったあとの雑感」

 木型を使ったのは、この時代、胎土に猪の毛が混入されているから。
押形文を施文する原体に関しては、山形文とポジティブ楕円文は報告書から容易に復元できる。
それに対してネガティブ楕円文と格子目文は土器片を詳細に観察しながら原体を制作しないと「完全復元」は困難。現在の鉄の文明のカッターや彫刻刀ではどうしようもない。失われた石の文明の謎である。

 押形文の最初と言われているネガティブ楕円文の原体は植物の一部をそのまま転がしたものだと思う。格子目文については、刈谷我野遺跡発掘調査報告書2の21ページ177番の3センチほどの格子目文の土器片を完全復元したものがこれ。

 「なぜにかくまで難易度の高い原体をつくるのか。」ということ。
単なる滑り止め機能を超えて、使用中、煤けた同じ砲弾型の尖底土器の中で「見分ける機能」、つまり持ち主の「ルーツ」というか「氏族」というか「芸術的情報バーコード」の機能を感じる。
 不安定な尖底土器を燠に「刺す」、原体を「ころがす」文様から安定な平底の「置く」、文様を「描く」、に変わる。「動」から「静」に変わり押形文尖底土器が日本列島から消えたように思う。

 こんな文章を書いたのは丸田秀三氏から「早稲田陶芸」に文章か論文のようなものを載せてゆきたいというメールを頂いたから。大学時代のサークル活動中にかかわった、平塚市の藤田昭子先生の巨大な「野焼き」シリーズに端を発する40年後の小さなレポート。こんな内容でいいのかな。さて。
西暦2009年4月8日 武吉廣和 (陶芸家)





 どうして刈谷我野遺跡なのかを説明します。学校あるいはイベントあるいはキャンプなど野外活動で焚き火をして土器で料理をする場合、いつまでたっても沸 騰せず挫折します。それは結局、器壁の厚さの問題です。型抜きなら子供でも簡単に6ミリ厚が可能で30分以内で沸騰します。1万6千年前からの縄文、弥 生土器の中で型抜きが最も簡単なのが8千年前の尖底土器で、型上での乾燥硬化収縮での亀裂を防ぐために猪の毛を混入したという仮説を立てるわけです。

 じゃあ尖底土器を作ろうではないか、となったとき、尖底土器とは具体的にどんな形か研究することになります。「これじゃあ縄文土器とは言えない」と専門 家に笑われるのです。発掘報告書をあさっても、8千年前なので希少ですし殆どが小さなかけらです。出版物の写真から借用する以外、学術的に復元不可能で す。西日本からはろくなものが出ないというなか、高知県の刈谷我野遺跡は驚異的な発見で すのにインターネットで検索しても何が出たのか土器映像的に分かりません。

 今回の原稿は考古学会にも教育界にも重要な情報だと思います。かけらから全体 像を明らかにする大胆不敵な「完全復元」は考古学会には無理です。しかし縄文土器でインスタントラーメンを食べたいという数奇者には好評だと思います。



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「いのししの毛」

 数年前のこと、刈谷我野遺跡からの出土土器片をつなぎ合わせて復元しているところを高知県の埋蔵文化財センターで見学させていただいた。その時のわたしは、質、量ともに、すごい遺跡の出土品に興奮しながら目が泳いでしまう感じだった。

 ある作業台で厚みが2センチを超える粗製無文土器が大型の尖底土器の姿をとりつつあった。Y氏が言った「これがいのししの毛です。この時代の土器の胎土には動物の毛や植物繊維が混入されています」。凝視すると土器の断面のまんなかから1本の剛毛がピンとはえていた。大発見である、私はその瞬間「いのししの毛が焼けずに残る8千前の特殊な土器焼成法」に思いを馳せた。ステーキで言えばレアのように表面は焼けていて、芯は生焼けという焼き方があるのか、である。

 縄文早期の直径1mはあろうかという押形文平鉢(東北地方出土)を見て以来、早期の高度焼成技術トラウマから抜け出せないでいる。縄文時代にはオーパーツのようなものが少なくない。

 仕事場に帰るやいなや様々な胎土のパターンを設定し、いのししの毛を練り込み、焼きに焼いた。しかし、謎は深まるばかり、土器になる遥か手前の、低温のあぶりの段階で胎土の中の毛は黒く焦げてしまう。「8千年前の焼成技法は謎です」と、お手上げ状態で、テストした土器片サンプルをいくつかY氏に手渡した。

 それから半年ほども経ったろうか、何かの用で埋蔵文化財センターに行った。丁度、ロビーでY氏に出くわした、彼は言った「あの毛ですが、土器片に強化剤を塗るのに使用した刷毛の毛でした。」 (2009年4月23日追記)


土について

 窯なしで焼ける土というのは急熱急冷で膨張収縮しない、そして胎土中の水蒸気と結晶水がすばやく抜ける土です。また陶器と異なり乾燥時と土器になった状態の破壊強度は似たようなものです。つまり焼いてはじめて堅くなるという発想はありません。

 あとは個々の土での実用耐久性の性能の優劣の問題です。土器で煮炊きする生活をして「だめだこの土は」というふうに、消費者センターに持ち込まれる苦情並みにわかってきます。

 信楽の「かねり」あるいは「マルニ」という粘土屋さんで「陶板土(荒目)](膨張収縮率小)10割に川砂か富士山の火山灰(膨張収縮ゼロ、水抜きの役目)を3割程、あとは破壊強度と粘度と土器色を増すため、そして水漏れを防ぐために「テラコッタ」を5割程混入、こんなでいいと思います。いずれの土も安価です。

 これで土器をつくり、燠のみで加熱、最後に、学校に植わっている楠のようないい香りの木の掃除剪定した小枝をかぶせて一気に800度にします。さほど水も漏らず煮炊き出来るでしょう。分厚いため温度差が生じて、土器表面が一部はじけ飛んだり、連続煮炊きという耐久性に問題ありと思えば砂を増すか「童仙傍」を2割あるいは3割ほど打てばいいでしょう。土器を急熱急冷すればそれだけ寿命が縮みます。燠を活用するのが作法です。強風こそが大敵です。

 縄文人のレベルは我々より上です、いい系統の土は何千年も彼等に知られ、大切にされています。散歩がてら火山灰質粘土を見つけてください。欠点に対する対応の仕方は上に記したとうりです。 (2009年6月25日追記)
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